バトンを手渡されるとき

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    案の定、微妙な体調の加減で間が空いてました。

    週末にお友達の写真展に行ったり、お友達とご飯食べたり久々に出歩いて

    ちょっと出かけられるくらいには回復して来てる感じです。

    でも薬ちょっと効きすぎかも〜。多分今週末また減薬かな。

    最近の写真がないので、載せそこなってた成田のニンジンの花。

    ちょっと長文を書いてしまったので続きにしてみます。

     

     

    今年は個人的に、若い時に好きだった作家さんやアーティストさんの訃報が続いてて。

    もうそんなお年になっていたのか、とニュースを見て、ふと、周りを見渡してみると

    学生時代の恩師、友人知人とも、仕事や結婚などで連絡が途切れがちになっていて。

    代わりに、学校を出てからやっていることでつながった人との縁が増えてきて、

    そういう人間関係が変わってくる時期なのかなとか考え始めました。

     

    実は私は24くらいまで漫画を描いていて、それでプロになりたいと思って

    出版社に持ち込んだりしていまして。

    就職してからも少し描き続けていましたが、

    ロリータを始めたのとほぼ同じころに、ふっと、

    商業的に需要のある話を描くことを自分が楽しめなかったので

    このまま描き続けてもプロにはなれないんだなと気が付いてしまったんですよね。

    そこでパタッと描くのをやめたわけではなく、じわじわと描かなくなったのですが。

    なぜか同時に、その頃読んでいた本や聞いていた音楽も

    半ば意識的に避けてしまうようになって。

    でも、そのまま手放すこともなく、ずっと引っ越していても本棚の奥深くに持ってた。

     

    それがこの春、家のリフォームで本棚を全部動かすことになって

    その大量の蔵書とかCDをひっくり返して、別の部屋に移したんですが。

    それがきっかけで少しずつ、それらをまた手に取るようになりました。

    ああ、なんで15年近く、これ読めなかったんだろうな、聞けなかったんだろうな

    と思っていた時に、そうした作家さん、アーティストさんの訃報が続いて。

    そんなお年だったんだ、と思う一方で、亡くなるにはまだ早い方もいて。

    もうその方の新作は出ないんだな、と思うと、何で15年も見なかったのかなと。

    本も、音楽も好みの変化もあるんだけど。

    それ以上に、何か自分のやりたかったことが出来なかったことの苦しさで

    その時そばにあったものを避けていたのだなと。

     

    じゃあずっと私は漫画だけ描きたかったのかな、

    今やっていることはつまらないことなのかな、というと

    そうでもなくて。

    実はロリータもプログラムもカメラも飛行機もみんな楽しい。

    それも一人で楽しいのではなくて、自分が楽しいと思ったことを

    割と今、ひとに伝えられるようになってきた気がして。

    それが楽しく感じられている理由なのかなと思ったのです。

     

    漫画をやめたとき、売れる漫画が描けない、描きたくないと思っただけでなく、

    一番苦しかったのは、漫画という形で、自分が思っていることを

    うまく伝えることが出来なかったことだった。

    私よりもずっと歴の短い若い人が、さらっとうまいこと描いてしまって

    ああ自分はアホなのかな、これが才能がないということかなと思っていた。

     

    今考えてみると、創作って、ほんとに勝手に作家の中から出てきた

    ものすごくオリジナルで誰も見たことのないものは、そのままではたぶんダメなのです。

    読む人の心の中にもある何かと通じ合う、共感できるようなものでなければ届かない。

    私は若い時、自分を自分で定義できると思っていて、

    そういう誰にも伝わらないものを描こうとして失敗していたのではないかと思う。

     

    今は、何かを伝える面白さがわかれば、形はたぶん何でもよい気がする。

    寧ろ、伝わるように、工夫して伝えることの方が、面白いんじゃないかと。

    最初からみんなが知っているものはわかりやすいけど、

    知ってるから誰も面白がってくれないかもしれない。

    だから、まだ「みんなが知ってる」というところまでは、いってないかなーというものを

    どうやってひとに伝えるか、一緒に楽しめる形にするか。

    そういうのが、これから面白いんじゃないかと思えるようになってきて。

    それで、なにか、若い時に自分で自分にかけてしまった呪いが解けてきたのかな、と思った。

     

    亡くなった方の本だって、私がその人の本を覚えているということは、

    その方の言葉が、その時の私に伝わったということで。

    もっともっとやりたいと思っていたかもしれないけど。

    でも、この人の仕事、として誰かに覚えておいてもらえるような仕事なんて

    会社員やってるだけだとなかなか出来ないんですよね。

    小さなことでも、誰かに「ここでこれに出会ったんですよね」といってもらえるようなきっかけを

    作れたら、それはすごいことなのではないかと思う。

     

    私が今、こういうことを面白いと思えるようになったということは、

    それを私に伝えてくれた人が居たということ。

    その人も、きっと、かつて誰かにそれを教えてもらったのかもしれない。

    そういうバトンを手渡されてきたんだなと。

     

    遠くに行ってしまった人もいるけど、まだ一緒にいろんなことが出来る人もいる。

    学校の友達はその時近くにいたから、でつながりが始まるので、

    物理的な距離が出来ると簡単に切れてしまう。

    でも、社会に出てからつながる人は、

    お互いにつながっていたい何かがあるから始まったケースが多くて

    それで結構頑張って、機会を作って維持している関係が多い。

     

    そういう誰かと一緒に何かができる時間は実は短い。

    いつかどれも終わってしまうときもあるかもしれない。

    そのときに、後悔しないように、

    いま考えてることをちゃんとやらなくちゃな、と。

    ちょっといろんな人と会って、話して、そんなことを考えてました。


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